終章 或路に火は在り

※続き物の最終話。


 脹相が意識を取り戻すと、軽傷組の伏黒と釘崎がいた。脹相が「心配するな」と言うと「するわよ」「しますよ」と同時に言ってくれる。驚いた。てっきり、そんなことはないと否定されて帰っていくものだとばかり思っていた。
 と、思っていたのも顔に出ていたらしい。釘崎から額を指でつよめに弾かれた。
「ちゃんと寝なさいよ。虎杖なら大丈夫、アンタよりずっと頑丈に出来てるから。だから、手当てとか終わったら家入さんに任せんのよ。いい? 返事は?」
「わかった」
「よし。虎杖が起きてきたら、今のデコピン、私の代わりにやっといて。無茶したら、相応の罰を受けなきゃだめよまったくもう!」
「釘崎、静かにしろすこしは」
「伏黒もやっとけば? デコピン」
「……俺は、直接頭突きする」
「あっは、それもいいわね」
 ぎゃいぎゃい言いながら、騒がしく部屋を出ていく。
 ドアを閉める直前、伏黒が顔だけ覗かせた。
「脹相さん」
「なんだ」
「…………元気、出してくださいね」
「──ああ。ありがとう」
 面食らったような顔で、伏黒が釘崎に連れられていく。今度こそ出ていった。自分は礼を言っただけなのに何なのだ? 家入を振り返ると、くすくすと笑っていた。
「なんなんだ、おまえまで」
「可愛げのある育ち方をしたな、と思っただけだ」
「そうか。……そうか?」
「ああ、そうだよ」
「…………家入」
「なんだい」
 迷ったが、結局そのまま言うしかないように思えた。


「悠仁が──虎杖悠仁が、俺の弟だった」


 家入は、すこし考える素振りを見せた。
「……そのことを、虎杖は?」
 首を横に振る。
「知らない。俺からも、告げるつもりはない」
「……理由を訊いてもいいか?」
「…………そうしたい、と思ったから。だな……」
 出来損ないの受け答えだと思った。だが、家入はこの返事で十分だったようだ。
「そうか」
「ああ」
「よかったな、脹相」
 家入が、なんでもないことのように言う。
 自分はまだ、そんな、当たり前の言葉にはできない。
「よかった……そうだな。……よかった……」
 きっと、これでよかった。
 虎杖悠仁が、産まれ、ここで生きてくれていて。
 俺の居ない場所でも、強くたくましく育ってくれていて。
 ──よかった。よかったと思えた。
 逢えた。唯一の火と。生きている体温と。
 世界の果てのように思えた、この、人間の国で。
 壊相と血塗が望んだ地で、逢わせてくれた。虎杖悠仁と。
 俺の弟と────。


 どれだけ時間が経ったものか。虎杖が身じろぐ気配を感じた。家入とともにベッド脇へ戻る。ゆらりと目を覚ました。
「──虎杖」
「……脹相? おはよ……」
「痛いところはないか?」
「んー……」
 まだ寝ぼけているらしい。もそもそベッドから出て、笑う。
「ないな~」
「苦しいところは?」
「それもないなぁ」
「なになに。心配してくれてんのォ?」
 そうだ、と素直に言ってもよかったし、全然、と返してもよかった。どちらを選んでも、自分の今の正直な気持ちだ。自然と、頬が緩んで微笑を浮かべてしまっていた。虎杖が、え、え、なになに、と覗き込んでくる。
 まったく、世話の焼ける子どもだ。
「……釘崎から頼まれていてな」
「うん。なにを?」
「これを」
「へ?」
 虎杖悠仁の額にかかった短髪を、そっと掻きあげてやる。撫でるようなその手つきに、虎杖が困惑したのがわかった。虎杖の澄んだ双眸。そこに映る自分の表情は、なんともやわらかいものだ。確かにこれでは困惑するだろうな、と思ってまた笑ってしまう。
「ま、マジでなに……?」
「ああ。しかと受け取れ」
 へ、とまた言おうとした間抜け面に、容赦なく額を中指で弾く。釘崎は『でこぴん』と呼んでいたか。虎杖が、額を押さえ「……ッ! ……ッ!!」とのたうち回っている。
「痛いか?」
「いってえっすよ!? 見て! おれ涙目! 見て! けっこうガチ泣きの痛みっぷり!!」
「元気そうでよかった」
「ねぇそれ、どのあたりを見て言いましたァ!?」
「虎杖悠仁」
「なんだよぉ!」
 ──この子の頭を、撫でてやりたかった。
 これまでよくがんばったと抱きしめてやりたかった。
 目を閉じる。己の鼓動を感じた。瞼を持ち上げる。
 我慢した。
「……元気そうでよかった」
 虎杖が痛えよぉなんだよそれぇ、とわめいている。家入が「うるさいぞ~一年坊主と臨時講師かっこ仮~」と雑に手を振り、脹相たちを散らしにかかる。
「さっきまでは瀕死でも、名医の家入様のおかげですっかりいいんだ。さっさと寮に帰れ帰れ、騒がしいなほんとに」
「おれの訴え、全スルー!?」
「静かにしてやれ。元気すぎるなおまえは」
「だれのせいだよ、わりと脹相のせいじゃない!?」
 ぶうぶう言いながらも脹相とともに家入の救護室を出ていく。さすがに深夜の廊下では騒ぐまい。そう思っていたら、肘で小突かれた。
 ひそひそと、耳打ちされる。
「脹相さーん……」
「ん。なんだ? 虎杖」
「なんつか、まじでまた反省会だとは思うんすけどぉ……」
「ああ。俺もおまえも、伸びしろだらけの一戦だったな」
「……なぁ」
「ああ、なんだ」
「…………おまえもちょっと、元気そうじゃん?」
 な? と、いたずらっぽく覗き込まれた。
 今度は自分が苦笑する番だった。
「俺はいつだって元気だぞ」
「うそつけうそつけこの泣き虫ぃ~」
「いいんだ泣き虫でも。俺は──俺、だからな」
「はいはい」






【『或路』──または『虎杖呼びルート』完結】